不思議だなと思う事がある。
今は色んな差別や偏見が問題視されている。
「男女差別」「障害者差別」「正社員と派遣社員の差別」や「LGBT」などなど。
これらの差別は解消までは進んでないが、社会問題になり少しずつ改善されるのだろう。
そんな中で不思議と「学歴社会(学歴差別)」を批判する声は聞こえない。
私は大学に行ったが3流大学。
たぶんその辺にいる高校生の方が、ずっと学力は高い。
就職はおろか転職でも募集要項には「大卒以上」という言葉が並ぶ。
求人によっては学部の記載はないが「大卒以上」は付いている。
私にはその会社に応募する権利がある。
しかし私より頭が良い高卒の人は、応募する土台にも立てない。
それっておかしくないですか?
大卒と高卒の給料の差
なぜ多くの人は大学を目指すのだろうか?
「勉強したいから」という人は少数だろう。
理由は2つ。
ひとつは就職に有利。
もうひとつは給料の格差。
高卒と大卒では、給料に大きな影響を与える。
若いときの給料はそれほど差はないが、歳を重ねると差はどんどん広がる。
それを知っているお母さん、お父さんは「できれば大学に行って欲しい」と思って当然だろう。
しかし親世代に余裕がある家庭ばかりではなく、奨学金に頼るしかない。
増え続ける奨学金利用者
日本は20年のデフレで景気が良くないので、少子化が続いている。
にもかかわらず、大学に行く人はほぼ一定(緩やかに増えている)。
少子化なのに大学に行く人数が変わらないってことは、それだけ大学を目指す人の割合が増えたってこと。
しかし余裕がある家庭ばかりではない。
多くの家計はカツカツ。
だから奨学金を借りる人の割合は上昇している。
2000年頃は30%以下だった奨学金受給率が、現在では50%付近を推移している。
大学生が2人いたら1人は奨学金を借りているってこと。
奨学金を借りる悪影響
奨学金の辛いところは「あまりに長い返済期間」と「見たこともない金額」。
22歳そこそこの人に10年の返済期間でも、32歳まで払い続ける。
32歳の自分がどうなっているのか想像もできないぐらい長い。
400万円、500万円という借金を普段の生活の中から捻出できるかは、どれだけ大変か?はたまたたやすいのか?の感覚すら掴めない。
私は奨学金450万円ぐらいで返済期間10年だったが「これはエンドレスに続くのか?」と思えるぐらい長かった。
そして奨学金のもっと大きな問題は結婚が遠ざかること。
良い相手が見つかっても「オレ奨学金が400万円残っているだよ」と言ったら、「え?」という話になる。
夫婦になると共同生活になり、奨学金という名の借金も共有される。
奨学金を抱えている側も申し訳なく思い、結婚に二の足を踏む。
勢いで結婚すれば別だが、冷静に現実的に考えるとお金の問題はつきまとう。
お互いに奨学金を抱えている場合は、目がくらむ金額になる。
奨学金を返済しているうちに、子供を作るのに適した年齢から外れ、これで少子化にならない方がおかしい。
子供を作りたくない人は、作る必要はないが、子供が欲しい人にはどうぞ産んで下さい、と思うのだがそれを躊躇させるのが奨学金。
奨学金の問題は学歴社会の問題
日本の大学では入試は大変だが、卒業は誰でもできる。
私の大学時代はバイトばかりで、ほとんど頭に入っていないが、それでも卒業はできた。
「それはお前が3流大学だからだろ?」と言われそうだが、有名大学に行った友人も「確実に高校生時代の方が頭良かったな」と言っている。
アンケートで自分の成績に対する自己評価を聞くと、高校卒業時と大学時では大きく変化する。
(下記アンケートは回答には自分の成績が「上のほう」「真ん中より上」「真ん中」「真ん中より下」「下のほう」の5パターン)
高校のときの成績が「上のほう」と答える人が19.4%いるのに対し、大学になると2%まで下がる。
大学の授業態度というアンケートでは、おそらく大学へ行っていない人には驚くだろう。
一番上の「携帯でwebに接続する」は、授業の内容をネットで調べている可能性もある。
しかし2番目からは、授業中に「授業で紹介された専門書を読まない55.1%」「私語をする34.7%」「携帯でメールを送る28.6%」と続く。
若干の感覚の違いはあるだろうが、多くの大学生はこの結果に驚いたりはしないと思う。
私も「まぁ、そんなもんだよね」という感覚。
そう考えると大学って意味があるのだろうか?
私はあまり勉強しなかったが、良い友人に会えたし、バイトも人生経験として役に立ったので、あの時期が無意味だとは思わない。
しかし入社の条件として「大卒以上」として付けるほど?
ましてや社会人経験があり、仕事を学び転職しようとする人に「大卒以上」って必要でしょうか?
仕事を覚えるのに適しているのは職場
私の職場には高卒も大卒もいる。
中には誰しもが知ってる一流大学の人もいる。
しかし入社して間もない人はともかく、30歳ぐらいになれば「誰が高卒」で「誰が大卒」か見分けが付かない。
大学の偏差値ランキング順に仕事ができるわけでもない。
私は仕事に必要な専門知識の9割は会社に入ってから覚えた。
たまに学力がないせいで、恥をかくことはあるが、仕事に支障がでるほどでもない。
どうしても入社前に覚えておくべき知識があれば、その職種は資格制を導入すれば良い。
そう考えると学歴ってただの既得権益なのではないでしょうか?
大学が既得権益になれば、多くの人が大学に行くために奨学金を背負うことになる。
結婚も出産も躊躇する。
大学に行かない人は就職・転職のときに「大卒以上」が壁になる。
その状態で「頑張って仕事を覚えれば、もっと良い会社を目指せるかも」って思えるだろうか。
大学に行く人、いかない人の双方ともに損をしているように見える。
得するのは・・・「大学の関係者」と「奨学金を貸す業者」でしょうか。
奨学金を抱える人も減って欲しいし、やる気も専門知識もあるのに学歴のせいで入社できない人も無くなってほしい。
本当に学歴社会(学力差別)って必要ですか?
現在は「年齢に関わらない採用における均等機会の確保」として、求人の年齢記載に制限がされている。
厚生労働省のパンフレットには「求めているのは年齢ですか、それとも能力ですか?」と大きく書かれている。
これを学歴に置き換えると「求めているのは学歴ですか、それとも能力ですか?」となる。
目的も年齢制限禁止と同じで「個々人の能力、適性を判断して募集・採用していただくことで、一人ひとりにより均等な機会が与えられるようにすること」。
私はしょぼくれた学歴ですが、それでも学歴社会があったから就職することができ、会社で知識やスキルを学ぶことができた立場で、今さらズルいのですが・・・学歴社会はいりません。
同じ会社で奨学金に苦しむ若い人の話や、学歴で応募できない若い人の話を聞くと、そう思えてしかたない。