皆さんの会社には「使えない上司」っていませんか?
日本は年功序列で年齢と共に少しずつ給料が上がり、出世もしやすくなる。
「なぜ使えない上司が出世できるのか?」
「能力ではなく年齢で給料が変わるのは合理的ではない」
そんな風に思っていた。
だから「日本も早く成果主義にならないかな」と思っていた。
その考えが変わる出来事。
それは成果主義の本場であるアメリカ・中国・スウェーデンの人と一緒に仕事してから。
成果主義をイメージだけで捉えて、なんとなく「良い」と思っていた。
実力社会(成果主義)は嘘つきを生む
皆さんは仕事でミスをした場合どうしますか?
日本では「ほうれんそう」という言葉がよく使われ「報告・連絡・相談が基本」と教わる。
きっと「言うの嫌だなぁ」と思っても上司や先輩に伝えていると思う。
ミスが大きければ大きいほど。
ところが成果主義は違った。
ミスがあったらとりあえず隠す。
証拠となるメールが残っていても「自分ではない」と、まるで政治家の答弁みたいにごまかす。
私は最初「アメリカや中国の人はウソつきが多い」と思った。
もちろん日本でも嘘を付く人はいるが「なんでこんなに割合が高いのか?」と。
それが途中で「成果主義という仕組みの問題」と気づく。
成果主義というのは成果が出れば給料が上がる。
けど逆に「成果がでない」「大きなミス」があったら出世がなくなる。
出生がない程度で済めば、まだラッキーで解雇も日常的にある。
だから出世のため職を維持するため嘘を付く。
人がミスしないことは不可能なのだから、嘘が付けない人は出世ができない。
出世街道から外れると転職する人も。
皆さんはミスがある度に、ウソを付かなければならない会社が良いでしょうか?
実力社会(成果主義)は休日を無くし長時間労働になる
日本人は働きすぎ。
海外では休みが多くエンジョイしている思っていませんか?
確かに日本は働きすぎというイメージがある。
しかし成果主義で出世する人は、日本でいうブラック企業、もしくはそれ以上の労働環境で働いている。
職場から帰宅しても自宅で仕事。
休日でも仕事。
まるで仕事の合間に、少しプライベートがあるような感じ。
成果主義では「給料が高い人、低い人」に分かれるだけではなく、働く時間も「長時間の人、短い人」に分かれる。
成果主義は、こうなるのは自然の流れ。
隣の席に座っている同僚は、負けてはいけないライバル。
そのライバルが長時間働くことにより成果を上げていたら、追い付かないといけない。
効率を高めるにしても個人では限度がある。
そうすると長時間労働競争になる。
そしてアメリカには長期休暇がある。
日本で例えると学生の夏休みのようなもの。
これを「うらやましい」と思っていた。
しかし成果主義という働き方をしている人に、長期休暇中にメールを出すと・・・
返信がある。しかもレスポンスも悪くない。
これって休暇って言う?
休暇なんだろうけど休んだ気になる?
皆さんは「会社にいるライバル」「転職してくるライバル」に勝つために、休日に働き、長時間労働したいですか?
成果主義(実力社会)は点数になる仕事ばかりやる
日本は頑張っても評価(給料への反映)されない。
これは年功序列なのだから正しい。
日本の評価方向は大きく分けると2つ。
ひとつは、会社が作った評価項目があり、そこに点数を付けていくパターン。
例えば
- 問題の解決力がある
- 周りと連携して業務を進めている
- 知識の習得度
こんな感じの評価項目があり「1~5点」などの点数を付けている。
実際は「この人は平均を4点ぐらいにするか~。じゃ、この項目は5点。この項目は3点」と結果ありきで、つじつまを合わせている。
もうひとつの評価方法は成果主義と近い。
それは「自分で課題を作り(上司が許可)」それを「上司が評価する」という仕組み。
入社1年2年であれば「◯◯の知識を覚えて、◯◯の業務ができるようになる」みたいなものでも許される。
ところが入社3年、4年と立つと「日常業務ができるのは当たり前」になる。
すると「日常業務ではない課題を作る」必要がある。
更に勤務年数を重ねると「本当にこれやれる?どこに時間があるの?」と感じる無理難題が課題になってくる。
日本の場合はそれが上手く出来なくても、そこまで給料は変わらない。
だから「課題があるが、お客さんの対応も山積みだし、課題はまぁいいっかー」になれる。
これは「課題をやらないダメな人」ではあるが「会社の収益を考えて臨機応変な対応できる人」でもある。
ところが成果主義は評価で、給料も大きく違えば解雇もあり得る。
するとどうなるか?
日常業務の手を抜き、評価になる課題に一生懸命になる。
評価にならない仕事は、上手に他人に押し付ける。
場合によっては「お客さんより評価になる課題優先」になる。
「そもそも私達は、なんで飯が食えているだっけ?あれ?課題で飯が食えるだっけ?」という仕事の本質も見失う。
成果主義は改善が進まない
仕事をしていると色んなトラブルがある。
会社内に迷惑をかけたり、お客さんを怒らせてしまったり。
その原因を探っていくと最後は必ず「人」になる。
お客さんの前で変な発言をしてしまうのも人。
ルールを作るのも人。
機械の調子が悪くても、その機械を作るのも人だし、管理しているのも人。
だから人が失敗を隠すことなく認めないと、次のステップである改善に進めない。
しかし降格や失業の恐れがあると失敗が認められない。
これが仕事において大きな弊害になる。
「改善(KAIZEN)」という言葉は、色んな国で通じる言葉。
「日本の改善を見習おう」という意識が海外で広まっている。
これは日本人は改善が上手いとか、器用とかではなく、失敗が認められる社会というのが大きい。
成果によっての評価が少なく、年齢と共に給料が上がる年功序列だから失敗を認められる。
成果主義って考えもの
日本の年功序列はちっとも完璧ではない。
では成果主義の方が良いのか?と言われたら考えもの。
つまり良し悪しがあって、完璧な仕組みなどはないってことです。
ただ日本でも成果主義に少しつづ近づいてきている。
インセンティブと言われる特別な報酬を出す会社が増えたり、自分で作る課題の達成度に応じて、出世の影響が強くなったり。
しかしこのまま進んで良いのだろうか?
もし明日から日本が成果主義になったら・・・
「後輩に分からなかったら聞けよ」とか。
「下請けの人が困っていたら話を聞こう」とか。
「同僚がテンパっていたらフォローしよう」とか思えただろうか?
きっと自分の立場を守るため必死で、相手にすることは出来なかったと思う。
もしかするとそれでも良いのかもしれない。
けど先輩に「そこまでしてくれなくても」と思うぐらい教えてくれた先輩がいた。
仕事ミスして下請けの人に好意で助けてもらったこともある。
自分が好意を受けて、逆の立場になったら返さなくて良いのか?
そう考えると変えるのが辛い。